竹若町・献上織物が生まれる。
新聞記事より H23.11.03
『博多・旧町を訪ねて』
古くは「竹若番」と呼ばれ、明治初めに「竹若町」と名称が変わった。筑前国続風土記によると、織物職人の竹若家があったことに由来する。
博多織・中興の祖と呼ばれ、戦国末から江戸初期にかけ活躍した竹若籐兵衛と伊右衛門親子はこの一族。明で織物を研究した満田彦三郎に技法を学び、硬い生地の帯地を作り始めた。これを黒田長政が徳川幕府に献上。「献上博多織」となったという。彦三郎は博多織の祖と伝わる満田弥三右衛門の子孫。
筑前織物の前社屋が、この竹若町に寄り添うように隣接していた事を思い出す。