承天禅寺 袈裟(けさ)を贈呈
この度、博多織発祥の地「承天禅寺」の神保至雲住職が着用する袈裟(けさ)を制作させて頂きました。夏用と冬用を制作させて頂き、錦地に承天寺の紋である「九条藤」をあしらったものと、夏物ということで、紗(網目)の地に献上柄の縁取りをし、同じく「九条藤」をあしらった涼しげな見た目と重厚さを持ち合わせたものを制作させていただきました。(平成20年7月)
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筑前織物としても、初めての制作になりましたので開発期間は約半年。デザインのご指導を頂きながら、生地感や耐久性など研究を重ね、仕立てに関しても様々な関係各所と協議を重ねながら完成に至りました。
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博多祇園山笠の「追い山ならし」(7月12日)と「追い山」(7月15日)で神保住職がこの袈裟をまとい舁き山笠の清道をお迎えになりました。神保住職は「承天寺と博多織の深いつながりをあらためて感じさせる貴重な袈裟です」と話されていました。
筥崎宮で行われた報賽式
筥崎宮で行われた報賽式にも着用されています。この報賽式は、臨済宗大本山東福寺と、博多の承天寺を開山した鎌倉時代の禅僧・聖一国師が、中国(宋)への留学から帰国する際に帰国する途中、玄界灘で嵐にあい、筥崎宮に祈ったことで無事帰国できたため、帰国後御礼参りをしたことが始まりです。
1242(仁治3)年から続く歴史ある行事であり、承天寺の僧侶は、聖一国師が宋から持ち帰ったとされる砂糖と昆布を神前に供え、お経を唱える儀式となっています。
承天寺は、博多の夏祭りとして全国的に有名な『博多祗園山笠』の発祥の地であります。
博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われています。
現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、山笠が「勢い水」と呼ばれる大量の水を浴びながら博多を走り抜け、承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれています。
他にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法が最初に伝えられた場所とも云われています。
墓地には「オッペケペー節」で一世を風靡した新派俳優・芸人の川上音二郎(かわかみおとじろう)、博多織を始めた満田彌三右衛門(みつたやざえもん)の碑があり(※墓所は聖福寺)、庶民の博多の歴史を伝える大事な寺院でもあります。